こんにちは!
ハウスメーカー勤務のサラリーマンと大家業との二足のわらじで奮闘している
【プレジデント168】です!(^^)!
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今日は3月11日です。
あの東日本大震災から10年が経ちました。
私が生まれてから何度も地震はありましたが、あの規模の震災は初めてでした。
当時埼玉にいた私はさいたま市にある事務所で作業中に揺れを感じ・・・
老朽化した事務所から一斉避難をして外に出ました。
駐車場に止めてあった車は揺れ動いており、国道沿いの木がゆっさゆっさと揺れ
『ついに直下型地震が来た(゚Д゚)ノ
関東大震災だ!』
と関東が一番強い揺れを感じていると思ったのはたったの震度五強の揺れです。
まさか遠く離れた東北が震源地とは思いもしませんでした。。。
私はハウスメーカーに勤めておりますが、地震や台風が来たときはとにかく入居者にすぐに電話を入れていたので、地震直後も事務所で電話掛けをしておりますと・・・
『プレさん!
さすがに余震がすごいから電話掛けをやめて
外に出たほうがいいです!!』
と外に出たのを思い出しました。
※震災発生直後に外に避難した際の写真です
入居者だけではなく、もちろん家族が心配でしたので家に電話して安否確認をすると
『私たちは大丈夫(^▽^;)
リビングの真ん中にみんなでいるよ!
近所のママ友と子ども達も家に避難してきてくれてる』
と家族の無事は確認できました。
帰宅後も家の被害を確認しましたが特に目立つ損傷や家具の転倒等もなく済みましたが、近所の先輩の家や当時のメンバーの家は家具の転倒があったとのことでした。
我が家の最寄り駅の反対口から少し離れた場所の入居者宅は庭が軽く断裂してブロックが倒れており、被害の大きさが伝わってきました。
そのエリアは【綾瀬川断層】と言う断層があるので、揺れが大きかったのかも知れません。。。
余震にも皆さんと同じように悩まされながら始まったのが・・・
【計画停電】です。
私が単身赴任をしている千葉のエリアでは計画停電はなかったとの話を聞いております
都内や主要施設の近辺は計画停電をせずに、日常生活を送れてたとのこと。
我が家がある埼玉では計画停電に合わせて・・・
・食事時間を変える
・子ども達のDVDの充電
・湯たんぽで暖を取る
・風呂の時間を変える
等々の対処をしたと思います。
そう、我が家はオール電化住宅ですので、全て電気に頼っていたからより大変でした。
3月と言ってもこの年は寒かった覚えがあります。
毛布にくるまりながら、余震が来るたびに泣いていた168は【地震酔い】で毎晩もどしておりました。。。
電気が付かないので暗くなるのも早く・・・
小さい二人の子どもをの暇をつぶすのに充電式のDVDは大活躍をしました。
二人ともよく頑張ったと思いましたが、やはり辛くて泣いてしまうと・・・
『東北の人達はもっと大変なんだよ~
だからみんなで頑張ろうね~!』
と話しかけながらよく耐えてくれたと思います。
関東はまだ恵まれていましたしね。。。
東北の人達への支援もさせていただきながら、我が家も備蓄を始めるようにしたのもこの時がキッカケです。
トイレットペーパーや水は我が家の収納に必ず定期的に入れ替えつつ保存しております。
東日本大震災はたくさんの大切な命や大切なものを飲み込んでいきました。
無くしたままではいけない。
それを教訓にして少しでも後世に残して次の被害に備えることをしよう。
そしてあの日を思い出にしてはいけない。
娘の168は当時の記憶がほぼありません。。。
これからまた必ず来る大震災に向けて、今一度あの時の教訓を生かして事前に対応できるようにしたいと思います。
震災は必ずまた来ます。
東日本大震災から10年目の節目の今日。
備えて家族の命を守れるようにしていきたいと改めて思いました。
つづく・・・
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